2013年10月6日日曜日

ローゼンメイデン 最終回

前回、ローゼンメイデン最終回の感想を書いたが、今回は、BS-TBSの最終回ということで、最後に今回のアニメが放映されていた期間の出来事なんかを振り返ろうと思う。
本当は、ローゼンメイデンという作品に関する思いを書いたり、ローゼンメイデンという作品そのものを振り返ろうと思ったのだが、どうもこの終わり方だと、原作の連載が終わった後くらいに続きをやる気がするので、そういうのはその時にしようと思う。


と、その前に、絶賛ばかりでもどうかと思うので、最後にひとつだけ、今回のアニメの不満点を書こうと思う。
毎回登場した絵本。アニメのオリジナル要素であり、真紅の声で朗読される、女の子と人形のストーリーだ。
毎回、本編のストーリーとリンクしているようで、リンクしていないような。願いを込めた七体の人形など、わかりやすくリンクしている部分もあるが。それでも、どうにも続きが気になる、不安げな物語であった絵本。遂には真紅とジュンがこれを読み、真紅に「文字にして想いを残す意味」を考えさせたこの本。
最後の最後で、真紅自身の文字で、真紅の願いを書いた。女の子が一番小さな人形に一番大きな願いを託したように。消えていった者の想いが、文字になって残されたわけである。ここで、朗読の声はやはり真紅が本を読む声であったのだと思わせ、本編のストーリーと完全に繋がるのだ。
しかし、この直後に、ジュンが真紅とテレビ電話で会話し、あっさりと再会を果たしてしまう。これでは、第一話から続けたこの伏線が、急激に弱いものになってしまうと思うのだ。これは、少し拍子抜けであった。ここだけは、例えばAパートでやっておくとかした方が良かっただろう。AパートからBパートまででは結構な時間が経過しているようだし、その方が真紅の想いを受けて成長したジュンの姿が表現出来てよかったと思うのだ。
とりあえず、不満はここだけである。あとは、本編以外の部分を語ってみる。


第一話から最終回まで、省略されることなく流されたオープニングとエンディング。
オープニングは、アリプロの『私の薔薇を喰みなさい』であった。
曲名に薔薇が付き、そしてその薔薇を喰めという奇怪な命令になっている。これはもちろん、薔薇の指輪にくちづけをする、ローゼンメイデンとの契約を意味するのだろう。曲の内容も、退廃的で耽美的な世界を描いた、正にアリプロの魅力が存分に感じられるものである。
甘い雫で誘う茨に、蛹から羽化する夢、そして螺旋の先にある光。ローゼンメイデンという作品全体とともに、今回アニメ化された部分のお話を象徴するようなキーワードが歌詞の中に出てくる、このアニメの主題歌にふさわしい曲となっていた。
しかし、何より印象的なのは、イントロのところで使われているハードな曲調で少し浮いた部分だろう。提供のバックで流れていた部分だ。あれがあまりにも印象的すぎて、とにかく事あるごとに脳内再生される。あの提供時の映像は、本編中の映像の一部を繰り返し流すものであり、だんだんとギャグっぽい部分が使われるようになったが、第一話ではラプラスが手紙に封をするというシーンであったため、曲と相まってかなりサイケデリックなイメージが出来上がっていた。もっとも、第一話ではギャグ的なシーンは無かったので、どうしてもこのようになるのだが、このシーンを選んだことはすごく良かったと思う。第一話以外でも、店長がじっとこちらを見ているシーンとか、なんとも気持ちの悪い変な映像だった。
映像の方は、積み上げられた人形の残骸や、その上で薔薇の花弁に変わって消滅する真紅、茨に飲み込まれる真紅と二人のジュンなど、本編に関する部分は雪華綺晶の脅威が強調されたものとなっていた。
また、ドールは全て登場し、こちらを睨むような水銀燈に、バイオリンを奏でる金糸雀、その旋律を遮って出現する雪華綺晶、手をつないで見つめ合う双子と、大きなアクションは無くとも絵だけでそれぞれのドールの個性がよく表されていたが、やはり服が消えていって全裸になって手を振る雛苺のインパクトが強いだろう。あれは、雛苺の個性が剥ぎ取られていって、最後はボディだけとなり、そして扉の向こうへと消えていくという本編での境遇が表現されているのだろうが、下手に悲しげなシーンにしたりするよりもこうするほうが曲に合ってるし、やはり記憶にも残るというものである。
最後の方は舞台上にアパートの部屋が作られ、そこでジュンと真紅がお辞儀をするシーンがある。観客は、残骸の人形たち。舞台というイメージはやはりメタ表現を思わせるし、あるいは様々な解釈を視聴者に求めるようなものでもあるのかもしれないが、単純に、雪華綺晶との決戦の場となるのが演劇の舞台であったし、そういうキーワードをオープニングの中で表現するという意味もあったと思う。アパートのドアが開いた場所に現れるのが、まいたジュンと真紅、つまり、舞台上の最終決戦の時に初めて成された邂逅が描かれていることからも、そういう意図が読み取れる。
第一話が放映された時、このオープニングを興奮しながら見たのを思い出す。
思えば、声のキャストはラプラスの魔以外一切変更されなかったが、アリプロもまた、ローゼンメイデンを象徴する声の一つである。

エンディングは、Annabelさんの歌う『Alternative』であった。これまた、このアニメ作品のテーマをストレートに表現した曲名だ。
一方で、歌詞の内容は、オープニングほどローゼンメイデンを意識したものではない。静かな曲調の中で、か細いのに強く響いてくる不思議な歌声は、どうにも不安を煽る。特に、最後に小さな声で「光」と発音されるところなど、歌詞カードにも載っていないし、不思議な感覚を強いものにしている。
と言っても、決して否定的な内容の歌ではない。閉ざされた心の中にも手が差し伸べられ、そして痛みを乗り越えて戦っていく。成し遂げるまで、目をそむけることも、逃げることもしない。こういう風に書くと、えらく力強い歌に見えてしまうが、やっぱりそういうことなのだ。そして、こうして書いてみると、やっぱりこの歌はジュンの心理にマッチしていて、やはりローゼンメイデンのオープニングにふさわしい曲なのだと思える。
映像の方は、レコードが回るところから始まって、謎の部屋が映される。このシーンで出てくる時計は、恐らく斎藤さんの舞台で使われた時計と同じものだろう。こういうところにも、本編のヒントが隠されているのだ。
そして、ローゼンメイデンたちが通りに面した窓の内に並べられている。ムスッとした顔の水銀燈に、寄り添っている双子など、ここでもそれぞれのドールの個性が現れているのだが、雪華綺晶もまた実体を持ち、普通の人形として座っている。そんなドールたちを、男の子が覗きこむ。これは、どういうシーンなのだろう?ドールの上には、『Not for sale』と英語で書かれたボードがあるので、場所はイギリスだろうか。随分と昔のことのようだ。アリス・ゲームが始まる前の、やっと全ての人形が完成したところだろうか?とも思ったが、水銀燈と金糸雀の間に、他の姉妹が知らない時間が存在するはずなので、それは無い。あるいは、特に意味は無い、イメージ映像のようなものだろうか。
その後は、水に浮かぶ真紅と水面に映る鏡像、そして月の満ち欠けを表すライトに、鏡像だけが目を開ける。これは、本編をイメージしたものであるのは明らかだ。
そして、天体の中に浮かぶローザミスティカに、その周りを舞う眠った姿のドール達。彼女たちは、最終回では眼を開く。真紅に至っては、立ち上がってしまうのだ。最終回まであえていつもどおりのエンディングを流すが、こういう細かいところで手を加えるところに好感が持てる。なんとも、希望を感じさせる変化ではないか。
これまでのアニメでは、エンディングはkukuiが歌っていた。オープニングと違い、ここは変更されてしまったが、とても良いエンディングであったと思う。

毎回、放送後に流れる次回予告では、斉藤さんと店長の掛け合いが笑いをとどけてくれた。店長は本編では完全に悪役で、下手をすればローゼンメイデンで一番有名な名言を放った人物であり、ある意味雪華綺晶より恐ろしい存在であるが、この予告編では斉藤さんにこき下ろされて、面白おかしい存在となっていた。
斉藤さんも、女子力マックスの本編とは違い、謎の黒い部分を披露したり世界征服を企んだりとおかしなキャラになっていた。
物語の後半では店長は出てこないが、もし続きがアニメ化されるなら、この次回予告は続いてほしいと思う。

放送終了後といえば、エンドカードも忘れてはならない。エンドカードというか、提供バックか。
最終回の提供バックは、真紅と水銀燈、蒼星石と翠星石が描かれたもの。舞い降りるドールたちが、可憐ながらもなんとも格好いいのだが、金糸雀が省かれているのに笑ってしまった。
第二話でいきなり蒼星石が描かれ、一気に自分の中で期待度が上がったこのイラスト。翠星石と蒼星石のコンビが描かれることも多かったし、それ以外にも魅力的な絵ばかりで、毎回楽しみにしていた。いろいろなイラストレーターの方や、ヤングジャンプで連載する先生方の描くローゼンメイデンは貴重だったし、素晴らしいイラストばかりだった。
公式のTwitterで、ヤングジャンプの連載陣もイラストを描くことを知って、中山敦支先生は絶対に参加されると思ったのだが、実現しなかった。もしこの続きでも同じ企画があるなら、ぜひ中山敦支先生のローゼンメイデンを見たいと思う。
そういえば、アニメが始まるときの号と終わるときの号で、久米田康治先生と矢吹健太朗先生が描くローゼンメイデンのピンナップがついてきた。これもそうとう貴重なイラストである。特に、久米田康治先生は講談社の雑誌で執筆されている方だから、ローゼンメイデンという点だけでなく、集英社系の雑誌で登場されたことも珍しい。



最後に、自分のこと。
自分は、今年で24歳になった。BS-TBSで第五話が放送された日が、自分の誕生日であった。
干支が二回りした年男であり、そして、大学院入試を受ける勝負の年ということで、いろいろと思うところがあった。しかも、誕生日と院試の日は、ローゼンメイデンの放送期間中なのだ。
自大以外の本命は、東京大学の大学院であったのだが、正直、するべき努力は怠っていた。下手をすると、自大の院試に向けた勉強のほうが、身が入っていたかもしれない。
結局、院試には不合格であったが、当然の結果だ。親などは、仕送りをせずに済むので助かるとも言ってくれているし、案外、マイナスばかりの結果ではないのかもしれない。
それでも、この戦いについては、自分を非難する。宇宙科を受けたのは、情報理工は自大の院試と日程が被って受けられないため。精密科にしなかったのは、学歴ロンダとバカにされないため。要するに、どこまで行っても、見栄でしか動いていないのだ。
これからすべきことは、分かっている。誠実に動くことだ。現実を見ることだ。
ローゼンメイデンは、時折どうしようもなく辛辣な言葉が投げかけられる他は、決して珍しいわけでも、深淵で意味を考えこませるようなわけでもないセリフしか出てこない。逆に言えば、それを組み合わせ、話の展開と絵で魅力的なストーリーを作り出すPEACH-PIT先生の手腕に感嘆するところであるが、それはひとまず置いておこう。問題は、自分は、このアニメをみながら、そういったよくあるセリフの数々にいちいち考えさせられていたということである。
ローゼンメイデンのテーマは、現実に向き合うということ。そこからしか、光明は得られないし、逆に、まじめに生きていれば、闇は訪れないということだ。だからこそ、そのテーマを表現する物語に出てくるセリフの数々は、単純なものであっても、不誠実な者に突き刺さる。
物語に感動することは合っても、考えを改めようというところまでは至らない自分だが、ローゼンメイデンを見て、そういう点を改めようと思った。果たして、自分に光明が訪れるかは分からないが、そうしなければ、闇に飲まれる気がする。闇というと格好良く聞こえるが、実際にはそんな美しいものではなく、どうしようもなくくだらない人生が待っているということだ。
二浪を経て、そんなことは分かっているつもりだった。それでも、現実を見れなかったのだ。現実を見たら終わり、なんて思ってすらいた。
ふてくされている場合ではないのだ。そんなことをしている間に、できることはいくらでもある。失敗は糧にしなければならない。人間たるものの、ごくごく当たり前のことだ。

あと、自分が知っているひとが、この夏ふたりも亡くなった。
どちらも、自分の母校である高校の先生だ。
一人は、自分が大学に合格してから入ってきた数学の先生である。非常に有名な方で、自分の母校以外でも、有名進学校で教えておられた先生だ。なんと、遠方での講義のため、出発の準備をしている最中に亡くなったと言うし、その日の午前中は授業をされていたのだから、正に生涯現役を貫いたわけである。
亡くなる少し前、本当に、一ヶ月も開いていないくらいの時に、母校にて泊まりのバイトをしたが、その際には病気のことやこれまでの人生のことなど、いろいろなことを語ってくれた。控室で、ふたりきりの空き時間が出来たときだ。すごい人生だなぁ、などと思っていた。その時は、久しぶりにお会いして、余りにも痩せておられたので驚きの方が強かった。「声が出なくなるまでは、教師を続ける」と言い放ったのが凄く印象に残っている。本当に、教師という仕事を愛していて、そして、仕事にも愛されている人だと思った。
あの、一時間ほどのお話を、自分はきっと忘れない。
もう一人は、先日も書いたように、理事長である。この方を知る人は、誰もが口をそろえて、「あの人は立派だ。誰にも分け隔てなく優しい人だ」と語るような人物であった。自分もまた、高校時代に少しお話したことがあるが、とても優しい人だった。
葬儀の時に聞いた話では、なんと30代の半ばで校長の職につき、以後50年近く学校を守り続けていたのだ。器の大きな人間にしか出来ない仕事である。
どちらも、とても立派で、多くの人が集う葬儀であった。


自分は今、卒論のための研究を始めている。これからは毎日大学に行くことになるし、大学院に進んでも同じような日々を送るだろう。大学院を卒業し、就職すると、もっと忙しくなる。夜中まで起きて、悠長にリアルタイムで深夜アニメを見ていられるのは、2013年の夏が最後の期間であったのかもしれない。それでも、大学院入試という大きな転換期があったくらいなのだ。
あるいは、金曜や土曜に放映されるものなら見られるのかもしれないが、月曜の夜中という、絶対に夜更かしなど出来ないタイミングで毎週こんなことが出来るのは、これが最後だろう。
この大学院入試が、自分の最後の現実逃避であった。そして、そんな現実逃避は、見事に打ち砕かれた。そして、そんな私に、いろいろなことを考えさせてくれたのが、中学のころから好きでいた、ローゼンメイデンという作品であった。未来を夢想する自分に、過去から何かを教えてくれた気がするのだ。馬鹿げた発言かもしれないが、本当にそんな気がする。
放送時、その当時に考えていたことを振り返るために書いたこのブログ。ネット上の日付は、自分ではどうしようもないものであるから、確実にその日に書かれたものとわかるので、あえてネット上で書いた日記である。
『ローゼンメイデンの感想』と書いたように、このブログの役割は終わったわけだが、さてこれからどうしようかと迷っている。
原作の連載にあわせ自分のことを書く、月イチの日記として続けるのも良いかもしれない。少なくとも、次のアニメ化までは残して、続きを書かなければならないのだから。

とりあえず、その時までに、自分が少しでも真っ当な人間に変わっているように。これからすべきことは、そうなるように向けての努力だということは分かった。
何年後かに、この投稿を見た時、青臭くて馬鹿みたいで、笑ってしまうことを期待する。

2013年10月1日火曜日

ローゼンメイデン 第十三話

7月から始めた、日記を兼ねたローゼンメイデンの感想も、遂に終わりを迎える。
ローゼンメイデン第十三話、最終話である。

全てを終えて、元の世界に戻ってきたジュン。
舞台は無事に終わり、キャストは衣装もそのままに、打ち上げが開かれる。
座長に絡まれたり、斉藤さんの兄貴にビールを飲まされたり、すっかり劇団の一員となった様子のジュン。彼自身が作った、己の居場所なのである。
そんな中、斉藤さんから、舞台で使った人形を返される。雪華綺晶が現れるまで、真紅が演じた人形。しかし、渡されたのは、雪華綺晶に似たアンティークドール。もとに戻ったと言っても、それは、ローゼンメイデンが現れる前の、正しい世界に戻ったということ。ジュンは、確かに真紅と別れたということだ。
真紅の夢を見ながら目覚めたジュンは、猫のティーポットを使ってお茶を沸かす。もう、もう一人の自分とメールは通じないし、淹れた紅茶を飲んでくれる、小さなご主人様も居ない。あっさりともどってしまった日常ではあるが、それでも絶望したりせず、現実を受け入れられる程度に成長したジュン。今なら、店長も適当にあしらえるだろう。
バイトの帰り道、斉藤さんと楽しく話すジュン。劇団は楽しいというジュンに、斉藤さんも嬉しそうだが、大学に行ってないジュンを心配してもくれる。こんないい娘、めったに居ないぞ!絶対に一緒になるんだ!などと思ってしまった。
斉藤さんが言うように、ジュンは自分で居場所を作っていける。やるべきことをしっかりとやるヤツだから、店長みたいなクズでない限り、ジュンを無碍に扱うようなヤツは居ないのだ。ジュンに足りなかったのは、自分も人の役にたっているという自覚。それは決して自意識過剰なわけではなく、むしろ、自分を必要以上に卑下しないためのもの。

ジュンの内面がいろいろな成長を遂げた一方、彼を取り巻く状況にも変化が現れる。本社の部長が、いつもまじめに働くジュンに注目するわけだが、自分はこのシーンを是非アニメで見たいと思っていた。このシーンは、次の店長のセリフに繋げるためのものでしか無いのかもしれないけれど、実を言うと、自分はいま正に、ある一つの戦いに敗れたところだ。そして、そのことを恩師に伝えた時に言われたのは、部長さんが言ったことであり、真紅がずっと言っていたことだった。
道は一つじゃない。やろうと思えば、どんな場所からでも、どんなところへでも行ける。一つの方法が駄目なら、別の場所で頑張るなり、別の方法でそこへ到達するなりすればいい。
そんなことを言われたのだ。
なんとなく、ローゼンメイデンの物語を思い出すセリフである。もちろん、恩師はローゼンメイデンなんて知らないので、ただの偶然なのだが、やっぱり感動してしまったのだ。
ジュンの目の前に選択肢が現れたように、自分で選択肢を作っていけば良い。そんなことを思い出させてくれる、巻かなかったジュンの物語は、これにて幕を閉じた。

が、ローゼンメイデンたちの物語は終わらない。
まかなかったジュンの物語は、ヤングジャンプ版ローゼンメイデンの第一部とでも言うべきもの。
不気味に蠢く白いイバラが映し出され、場面はまいたジュンの世界へ。

翠星石の”あたたかい”見送りと、『あたたかい』を変に強調する真紅に笑ってしまったが、その後すぐにジュンが倒れて、シリアス展開に入ってしまった。
真紅が猫を嫌っている微笑ましいシーンなども挟まれつつ、何気にのりがまともに登場したのもこれが初めてだと思う。ローゼンメイデンを見始めた頃には、のりのほうが年上で、まさにお姉さんという感じだったのに、いつの間にか自分の方がかなり上になってしまった……
ジュンが倒れたことを受け、雪華綺晶の復活を予感するドール達が集まるのだが、そこにはやはり水銀燈は居ない。流石に、あれだけ格好良く立ち去っておいて、すぐにパーティに加わっていたら拍子抜けだし、そもそも水銀燈はめぐの意識を取り戻すという彼女自身の戦いがある。今も一人で、どこかで戦っているのだろう。
そして、金糸雀は嫌な予感がすると言うが、実際にみっちゃんが襲われてしまう。みっちゃんも、ちょこちょこ姿は出ていたが、まともな登場はこれが初めてだ。それにしても、みっちゃんはみんなにみっちゃんと呼ばれ、敬称もみっちゃんさん等と呼ばれているが、すごくしっくり来る扱いだと思う。みっちゃんというキャラクターは、どこまで言ってもみっちゃんである。そういうわけで、そんなみっちゃんの活躍も見てみたかったが、そこは残念ながらカットされてしまった。

このシーンは、どうやら真紅達が元の世界に帰って少ししてからのことらしく、ジュンの方でも、またもや変化が現れた。いったいどのような選択をしたのかは描かれていないが、どうやら大学でも友達ができたらしい。ちゃんと、自分の現実を受け入れて頑張ってるのだ。偉いなぁ。
そんなジュンは、例の絵本を取り出す。最後に書かれたのは、「わすれないで」という真紅の願い。女の子が最後の人形に託した「一番大きくて大切な願い」が何なのかは分からないが、少なくとも真紅の願いは、この6文字なのだと思う。そして、絵本を朗読していた声は沢城みゆきさんだったが、あの声は多分、真紅のものだったのだろう。真紅が物語を読み、最後に物語とリンクするように、大切な願いを書き込んで、絵本に託したのだと思う。
が、その直後、ジュンのもとにテレビ電話の着信が入る。出てみると、見覚えのある胸元。まさかの蒼星石だったわけだが、クールでしっかりものな彼女が携帯を使いこなせていないのはなんとも可愛らしい。そして、蒼星石をどかして映るのは、翠星石と真紅。『わすれないで』と書き残しておきながら、直後にまた現れたのだ。
それにしても、注目すべきは、翠星石のツンデレぶり。別れる前には、わざわざ礼をいうついでに悪態まで吐きに来た翠星石だが、真紅を差し置いて真ん中で一番大きく映って手をふっているのだから調子が良いものである。
しかし、真紅以上にもっと思いがけないのは、巴との再会である。今はもう会わなくなった幼なじみの、数年前の姿となると、接し方がわからないだろう。柏葉さん、なんていう、かつては使わなかった呼称を使っていたりして、笑ってしまった。それにしても、巻かなかった世界の巴は、今どうしているのだろうか。ジュンなんて放っておいて、自分の人生を歩んでいるだろうし、ひょっとしたら、その方が巻いた世界の巴よりも幸せなのかもしれないが、なんとなく気になる。まあ、こちらのジュンには斉藤さんというお相手が居るので、もう巴と会う必要も無いし、会わないほうが良いのだろう。
そんな巴や真紅からの説明を受け、巻いた世界のジュンが大変なことになっているのを知った、巻かなかったジュン。少しばかり動揺するも、今度は自分が助けに行くことを決意する。
2つの世界を繋ぐのは、風呂場の鏡。ホーリエが世界を繋ぎ、ジュンが覗きこんだところでドアが閉まり……ラプラスの魔の一礼とともに、物語は終わる。

Aパートが物語のエピローグを描いたのに対し、Bパートはかなり端折りながら、次なる展開のプロローグを描いていた。
第一話も、前日譚のダイジェストという形で、物語の始まりに至るまでのストーリーが丸々一話を費やして描かれたが、最終回もまた、次のストーリーの始まりを描く形となった。
ラプラスの魔がお辞儀をして終わるところなど、終幕というよりは、一旦休憩に入る区切りのような印象である。
これは、この続きがアニメで描かれることを期待しても良いのだろうか?原作はまだまだあるし、可能ではある気がする。それどころか、ここからの原作の量が、明らかに1クールでは消費できないほどあるし、まだ完結しても居ないわけだから、全然余裕だろう。寧ろ、これらをどうまとめるかが心配なくらいだ。
是非とも、この続きもアニメ化して欲しい。

それにしても、Bパートはかなり端折られていた。
くんくんのベロを集める話とか、復活した蒼星石がいろいろする話とか、ぜひ見てみたい話が多かっただけに少し残念である。新たなドールとの出会いを経て更に活躍するみっちゃんの姿も、ぜひ見てみたかった。
ただ、次への繋ぎを最終回の中で描いて終わるには、どうしても雪華綺晶が暗躍し始めるところは出さないといけないだろうし、そうなると、巻かなかったジュンに連絡が入るところで終わるのが、霧が良いのだろう。ここから直接つながらなくてもいいので、こういった話も入れた上で、この続きをやってほしいと思う。切実に!



TBSで最終回が放送された日に発売のヤングジャンプで、公式ホームページで行われていたベストシスターズ投票の結果発表がなされた。
第一位は、大方の予想通り、翠星石と蒼星石の庭師姉妹。7人の姉妹の中で、この2体は、ずっと特別な関係として描かれていた。この結果は当然である。
このコンビが描かれたイラストは、提供バックでも何度か見られたが、最後はやはり本家PEACH-PIT先生のイラストでしめるということだろうか。私自身も、このふたりが大好きなので、新しいイラストが見られて凄く嬉しかった。
小説が発売されたり、公式ホームページで壁紙が連続配信されたり、今期のアニメ放映中は、双子の庭師がずいぶん推されていた。嬉しい限りである。
さてさて、注目するべきは、一位だけではない。三位の水銀燈と真紅のコンビは予想通りであったが、二位が水銀燈と金糸雀というのは意外だった。真紅と雛苺だと予想していた。この二人が、他の姉妹には無い時間を知っていることは、原作で一度だけ書かれただけ。いつもは翻弄される金糸雀が、水銀燈をからかうという珍しくも微笑ましい一幕であるが、物語に絡むようなものではない。それでも、非常に印象に残るシーンであるし、多くの人の記憶に残ったということだろう。
庭師の双子のイラストはとても嬉しいのだが、せっかくなら、水銀燈と金糸雀の描きおろしイラストを見てみたかった気もする。もうこの二人が並び立って描かれる機会も無いだろうからね。


さてさて、ひとまずの終わりを見せたローゼンメイデンの感想ブログであるが、全ての放送が終わる日、つまり、BS-TBSでの放送が終了するときに、もう一度更新しようと思う。最後に、今回のTVシリーズ全体というか、この三ヶ月の自分自身を振り返ってみようとおもっている。


最後は、真紅。
MBSで第一話が放送されるとき、同じようなポーズで、後ろに手を差し出した真紅を描いた。
今回は、前に手を差し伸べる真紅を描いてみた。
ローゼンメイデンは、真紅に始まり、真紅に終わる!